雨のサラエボ、にゃんの隠れ家

ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルから、首都サラエボへ。

サラエボといえば、1984年冬季オリンピックが開催された街でもあり、

かつては、キリスト教(カトリック、正教会)、イスラム教、ユダヤ教をそれぞれ信仰する人々が

同じ場所に共生するという、世界屈指のユートピアでした。

ところが、1991年、ユーゴスラビア解体とともに、ボスニア・ヘルツェゴビナは独立を宣言、

それによって、1992年から1995年の数年間をセルビア軍に街を包囲されました。

それが、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争です。つい、20年ほど前の話です。

 

さて、モスタルからサラエボまでバスで2時間半。

サラエボは寒い寒い雨の日でした。

サラエボの観光のメインでもある、旧市街スタリグラードへ。

まるで、小さなイスタンブールのような雰囲気で、モスクやアラブコーヒー屋さんや

アラブやトルコでよく見る水たばこなど見られました。

 

DSC_2367

 

お土産さんが軒を連ねています。

 

DSC_2420

 

そこにさりげなく、トコトコ横切る黒にゃんを発見。

雨の日、寒そうだにゃ。

 

DSC_2395

 

“ここで雨宿りにゃ”

 

DSC_2393

 

サラエボにもにゃんがいることが分かって、嬉しい。

 

街は平穏な感じはするものの、どこか寂しげ。

それは街が生き証人として、今に訴えかけるような空間があるからかも。

 

DSC_2549

 

 

これは、国立図書館。紛争で破壊された後、外観だけ修復が終わっていましたが、

中はまだ破壊されたまま工事の途中のようでした。

 

DSC_2552

 

 

サラエボの街には、トラム(路面電車)が走っていますが、外装はさまざま。

こんな可愛いトラム、少し街にはういてさえいるように見えちゃう。

 

DSC_2554

 

 

DSC_2424

 

DSC_2426

この川にかかるラテン橋は、

1914年オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝フランツ・フェルディナンド夫妻が

暗殺された場所。俗にいう、サラエボ事件の起きた橋です。

それを機に、第一次世界大戦が始まりました。

 

DSC_2550

 

川沿いから、旧市街へふたたび入る。

 

DSC_2429

 

すると、ここににゃんたちの隠れ家がありました!

紛争で壊れかけのままの建物に住む、にゃんたち。

 

DSC_2432

 

ちらっと目線を感じる。

 

DSC_2446

 

 

またしても、ちらっと様子をうかがうように、目があった。

 

 

DSC_2440

 

この白黒チビたちは、まだ子供。

そこに、大人のにゃんがやってきました。

 

DSC_2463

 

お、さらにまたにゃんが…

 

DSC_2465

 

 

ここは、みんなの隠れ家なのかにゃ?

 

DSC_2493

 

 

“この先、にゃんず以外立ち入り禁止にゃ”

 

DSC_2521

 

 

というわけで、ほどほどにその場を立ち去り、ふと振り返ると、チビにゃんが偵察中でありました。

 

DSC_2526

 

サラエボで生き抜いていきたであろうにゃんを見て、なんだかとっても感慨深い気持ちになりました。

歴史を知ることというのには、街を感じることで、計り知れないシンパシーをもてる。

そういう意味で、やっぱりサラエボに来てよかった。

雨上がり、空が晴れた。

 

DSC_2595

 

 

 

DSC_2504

 

 

つづく♡

コメントを残す