雨のサラエボ、にゃんの隠れ家
- 2014年1月19日
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ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルから、首都サラエボへ。
サラエボといえば、1984年冬季オリンピックが開催された街でもあり、
かつては、キリスト教(カトリック、正教会)、イスラム教、ユダヤ教をそれぞれ信仰する人々が
同じ場所に共生するという、世界屈指のユートピアでした。
ところが、1991年、ユーゴスラビア解体とともに、ボスニア・ヘルツェゴビナは独立を宣言、
それによって、1992年から1995年の数年間をセルビア軍に街を包囲されました。
それが、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争です。つい、20年ほど前の話です。
さて、モスタルからサラエボまでバスで2時間半。
サラエボは寒い寒い雨の日でした。
サラエボの観光のメインでもある、旧市街スタリグラードへ。
まるで、小さなイスタンブールのような雰囲気で、モスクやアラブコーヒー屋さんや
アラブやトルコでよく見る水たばこなど見られました。
お土産さんが軒を連ねています。
そこにさりげなく、トコトコ横切る黒にゃんを発見。
雨の日、寒そうだにゃ。
“ここで雨宿りにゃ”
サラエボにもにゃんがいることが分かって、嬉しい。
街は平穏な感じはするものの、どこか寂しげ。
それは街が生き証人として、今に訴えかけるような空間があるからかも。
これは、国立図書館。紛争で破壊された後、外観だけ修復が終わっていましたが、
中はまだ破壊されたまま工事の途中のようでした。
サラエボの街には、トラム(路面電車)が走っていますが、外装はさまざま。
こんな可愛いトラム、少し街にはういてさえいるように見えちゃう。
この川にかかるラテン橋は、
1914年オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝フランツ・フェルディナンド夫妻が
暗殺された場所。俗にいう、サラエボ事件の起きた橋です。
それを機に、第一次世界大戦が始まりました。
川沿いから、旧市街へふたたび入る。
すると、ここににゃんたちの隠れ家がありました!
紛争で壊れかけのままの建物に住む、にゃんたち。
ちらっと目線を感じる。
またしても、ちらっと様子をうかがうように、目があった。
この白黒チビたちは、まだ子供。
そこに、大人のにゃんがやってきました。
お、さらにまたにゃんが…
ここは、みんなの隠れ家なのかにゃ?
“この先、にゃんず以外立ち入り禁止にゃ”
というわけで、ほどほどにその場を立ち去り、ふと振り返ると、チビにゃんが偵察中でありました。
サラエボで生き抜いていきたであろうにゃんを見て、なんだかとっても感慨深い気持ちになりました。
歴史を知ることというのには、街を感じることで、計り知れないシンパシーをもてる。
そういう意味で、やっぱりサラエボに来てよかった。
雨上がり、空が晴れた。
つづく♡